2025年度【看護管理塾】第3章を実施!

 みなさまこんにちは。

 看護リカレント教育部です。

2025年7月12日(土)は、毎月1回、年間10回連続で受講する公開講座 看護管理塾の第3章を実施しました。

 第3章の テーマは「感情の源泉を扱う」です。 
このテーマについて塾長の山田雅子の講義に引き続き、チームでのワークを行いました。



 
 

  



第3章を終えて、受講生から寄せられたコメントを紹介します。

***** 受講生からのコメント *****

〇今回「感情」をあらわす言葉を考えている時に、自分の語彙力のなさに驚き、そのことが相手につたわる言葉の選択肢を少なくしていることに気が付きました。また、感情に視点をおき相手の感情を想像してみると選択する言葉の種類も変化するのではと考え、現場で実践しています。

〇毎回、先生の講義・グループワーク・発表においてたくさんの学びがあり、とても有意義な時間だと実感しています。
 今回も事例検討では自分にとって身近な事例が多く、そのうちの一つは感情ではなく技術の違いに原因があったのではないかというコメントもありましたが、どんな事例でも感情を知ることが必要だとしりましたが、感情だけではなく専門職として技術・知識を高めることはもちろん必要なのだと知りました。感想は書ききれませんが、次回もとても楽しみです。

〇今回は最も楽しみにしていたテーマでした。
感情を言葉で表現することが、こんなに難しいとは…と困惑しました。自分の感情について、正面から考えたことがなかったのだと知り、講義を終えた今もまだ、その余韻の中にいます。
 事例検討で、感情体験ワークが難しかったです。まず、自分の感情を表現すると「つらかった」になってしまうのです。たしかに「つらい経験」だったのだけれど、その時の自分の感情は?と1つずつ掘り下げて紐解いていく作業は、難しかったけれど、とても新鮮でした。
 ワークを通して、自分は感情<理性になる傾向が強いなと思いました。感情的にならないように、「頭で考えてしまいがち」なのです。自分の感情を表現することが難しかったのは、語彙力もさることながら、自分の感情に目を向けることが苦手だったから、なのかもしれません。
 これまでも、自分を動かそうとしている感情に気付けるよう、「いつも中庸でありたい」と思ってきました。適切な言葉で素直に表現することができる人は素敵だな、と憧れます。これからは、感情を言葉で表現できる余裕も持てるようになりたいです。講義の最後に、自分の好きな言葉「中庸」が出たこともあり、とても心に残りました。
ありがとうございます。

〇普段相手が感情的になっている時は、①訴える事柄に目を向けて解決しようと思っていること②感情には直接向き合ってないこと、むしろ避けていることに気づきました。相手の感情に向き合うこと、そして管理者として自分の感情を正確な言葉で相手に伝えることは不得意なので、まず意識したいと思います。

〇感情をぶつけられた場面の振り返りで、私は「職員に注意をした際に感情的な発言をされた場面」をチームで検討しました。感情的な発言をされたことで、私は不快な感情を抱き、指示に従わない職員だとラベルを貼ってしまっていました。けれども、そうなった要因は、私が普段から管理職として毅然とした態度をとっていなかったからということに気が付くことができました。そして、そういう態度をとっているのは誰にも嫌われたくないという私の思いからでした。第3回の管理塾の後、「ここは、言うべきところだ。ごまかさないでしっかり伝えよう。」と意識しながら行動するようにしています。そのあとには、「嫌な感情を抱かせてしまったのではないかな。」と不安になることがありますが、ここで得た気づきを忘れずに行動できるよう変わっていきたいと思います。

〇自分の心は、何か欠落していると感じていました。
どんな報告を受けても、患者から罵声を浴びせられても、平静を装って対応しています。それは、感情の押し殺し=欠落感だということに気づきました。これからは、湧き上がってきたのはどんな感情なのか、名前をつけて向き合ってみようと思います。
 先日、救急外来で2歳くらいの子どもが縫合処置を受けていました。泣きながら「やばいー!やばいー!」と叫んでいました…。「やばい」の予想以上の多様化と繁殖力に恐怖を覚えました。患者の感情を丁寧に表現し、患者に寄り添える看護師を育てていこうと強く思いました。

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コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。
次回は9月、第4章でお待ちしております。



聖路加国際大学
看護リカレント教育部